家の周りのドングリ(木楢(コナラ)、椚(クヌギ))が今年は当たり年で、沢山実が落ちる。木が屋根に覆い被さるように大きくなってしまって、落ちた実が屋根に当たって大きな音がする。今まで、ドングリの落ちる音が気にかかったことがなかったのに、今年は特別だ。木の下の地面には一杯の実がある。
コナラの実は小さめだが、クヌギのドングリは右写真のように大きく、車の屋根に当たると屋根に傷が付くのではないかと心配になる。まだ私の頭に当たっていないが、見上げると20mくらいの背丈があるので、当たらないことを祈っている。
ドングリの実が毎年平均して成らないのは動物に食べ尽くされないようにするためだと本で読んだことがある。何年かおきに沢山実を付ければ、それを好物とする動物も食べきれず、沢山残るいうわけだ。ドングリの木がそんな事を考えるわけもないが、自然の仕組みはとても不思議。
縄文時代にはドングリは欠かせない食料だったらしい。ドングリが豊作なら動物だけでなく、人も喜んだことだろう。豊作の年は、一家でドングリ拾いをすればあっという間に大量の実を集めることができたのではないか。縄文の暮らしはとても豊かだったかもしれない。
私の母は戦時中の食料難の時にドングリを食べたと言っていた。ドングリを食べるにはあく抜きが必要になる。どうやってあく抜きと調理をしたかは聞いた覚えがない。
家の周りのコナラ、クヌギを大きくしてしまい、もう危険(倒した時に家や電線を壊す恐れあり)で自分ではどうしようもなくなってしまった。大風など吹くと、枝が折れて落ちるなどの危険も増してきたので、業者に頼んで伐採するしかないと思い始めた。そんな私の考えをドングリの木が察知して、沢山の実を今年つけたのだろうか。
ドングリの木を切ってしまう前に、ドングリを食べてみようと思う。流水に数日さらす方法と、木灰汁で煮沸する方法があるようだ。コナラよりクヌギのほうが実が大きくて、20分くらいで写真の袋が一杯になった。
調べてみると、調理方法についての記事がたくさんある。たとえば、
NPO法人くまがし くまがしノート
など。